「家旦那」考
■実は私、「家旦那」です。
って言われても「???」ですよね。
「家旦那」とは我々の考えた造語で、「地方に家を所有することで、まちの活動に参加する方法」のことを言っています。私は、富山県城端の「家旦那」の一人になってます。
富山・城端は、高岡からローカル線で1時間くらい内陸に入ったところにある、山の麓の小さな町です。富山市よりも金沢に近い立地にあり、昔から加賀・前田家の加護を受けてきた土地です。前田家の子息を受け入れていた由緒ある大寺院がまちの中心に鎮座しており、また、この寺院は民藝運動の祖と言われる柳宗悦が、この寺院で民藝思想を纏めた「美の法門」という有名な著書を書き下ろした地でもあり、民藝通の聖地でもあります。
しかし、何よりも注目に値するのが、毎年初夏のこの時期に開催される「城端曳山祭」です。遡ること江戸中期、飛騨白川郷などの山村の冬の産業として栄えた養蚕(絹糸)の集積出荷の玄関口として城端は栄えました。絹商いの豪商の旦那衆は頻繁に京都や江戸へ足を運んでいました。ふたつの都で大いに遊んだ旦那衆は、それぞれの粋、京都の「雅」と江戸の「艶」、を地元に持ち帰り、地元の人にも楽しんでもらおうと独自の祭りを仕上げました。それが「城端曳山祭」です。
この祭りのメインは最終日、夜の帳が下りてから。京都の祇園祭の山車を彷彿させる6つの「曳山」が、ギイギイと車輪の音をたてながら、和ろうそくの明かりで照らされた町家(所望宿)の軒先をゆるりゆるりと廻っていきます。曳山を先導する「庵屋台(いおりやたい)」は、江戸の遊郭の建物を忠実に再現した模型を頭上に配した山車です。庵屋台の中には、紋付きの正装をした城端の若い男衆(若連中)が入り、三味線や笛を奏でながら、曳山と共に家々を巡ります。庵屋台の若男衆は、町家で曳山を待つ女主人(曳山祭の夜は、女性が家の主になるそうです。)に、短冊にしたためた「江戸端唄」を唄いながら届けていきます。「江戸端唄」は遊郭で楽しまれた男女の叶わぬ色恋や儚い戯言を唄う当時の粋な遊びです。
提灯の灯った曳山と、しっとりとした端唄の調べが朗々と流れ、夜がゆっくりと更けていく。そんな静かで雅な祭りです。300年超の時を経て、様々な歴史の波をかいくぐり、よくこんなきれいな祭りが原型のままに残っていたものだと毎回感心してしまいます。
■前置きが長くなりましたが、「家旦那」考。
この城端曳山祭は、曳山が訪ねて廻る「町家」がないと、祭り自体が成り立たちません。しかしながら、昨今の高齢化や人口減少により、これらの立派な町家を維持することができなくなる事例がいくつも発生していました。そこで、祭を守りたい地元の方と、祭に魅せられた外部の人が力を合わせて、無くなってしまいそうな町家を買い取り、共同で所有・維持管理をしています。
当然、私たち外部の人たちは、常にその町に居ることはできません。私たちは、かつて城端のまちや祭りを支えたかつての豪商の「旦那衆」には遠く及びませんが、でも主のいなくなった家を新たな主として持ち続けることで、その地域の文化や産業を維持・発展させることに微力ながら一役かえているようです。こんなふうに、家を維持しながらまちを守り育てる現代の新しい旦那衆のスタイルが「家旦那」です。
このような「家旦那」のしくみって、もっと広がってもいいのではないかと思っています。最近、地方の町に移り住む若者やクリエイターが増え、様々なかたちで地域の活性化に貢献しています。でも残念ながら、仕事と家族を連れて、地方に移住できるのはまだまだ少数派…。しかし、この「家旦那」のような仕組みがあると、一般の人が地方のまちづくりに参加することへのハードルもぐっと下がります。そして、間接的に都市部に集中しているお金を地方に循環させることができるのではないかと思ったりしてます。
地方のまちの古民家の売買は、一般に出回らないことも多々ありますので、地域にネットワークがあることが重要なポイントの一つになります。古民家は改修費を含めても都市部とは比較にならないくらいの安価で購入できることも魅力です。複数名で参加すれば、一般の人にも十分に手が届きます。
購入後、普段は空いてしまっている家は、民泊として無理のない稼働させるなどの「小商い」をすると(大儲けはできませんけど)古民家の維持費くらいは賄えそうです。さらに、家の運営・管理や観光事業としての新しい雇用が地元に生まれ、地域の活性化にも貢献できます。
さらにさらに、家旦那が地場産業の再生に貢献するできるなんかもできるのではないかと考えています。それぞれの地域にはほぼ確実に伝統的な産業や製品があります。しかし、時代の変化により苦戦しているものも数多くあります。そんな地場産業に、「家旦那」の知恵や知見をインプットすることで、これらの製品を別の形で世に出していける可能性は大いにありそうです。自分の好きな磁場の商品を再生させるために、「家旦那」になる人も出てくるかもしれません。
こんな風に、「家旦那」は土地の人にも、外部の人にもいろいろなきっかけをもたらしてくれています。私のような田舎を持たない者にとっては、様々なかたちで地元の人のコミュニティに参加させていただけることは、何ともうれしいことです。
■「地方の不動産をもつこと」の意味を変える。
これまでも景気の好況が来るたびに、リゾートマンションや別荘用地など、地方に土地・家屋を手に入れることがブームになったことがありました。しかし、これらの多くはブームの終焉とともにほぼ利用されない、いわゆる「負動産」になっているケースが多くみられます。鎌倉生活総研にも、相続時に処分に困る事例が多々持ち込まれます。つまり、土地・建物=「ハード」だけを購入しても、長続きしないのです。
一方で、私たちが提案する「家旦那」のしくみは、単に古い古民家=「ハード」を購入することが目的ではなく、地域のコミュニティ=「ソフト」に参加することを目的としています。これまでの地方の不動産所有とは意味合いが大きくちがっています。
日本には、歴史も深く文化度も高い、でも忘れられているいいまちが、まだまだいっぱいありそうです。しかしながら、どのまちでも「家旦那」のしくみが成り立つとは限りません。そのまちや地域が持つ「ソフト力」がある程度以上に整っていることが必要です。その地域を愛し、すでに積極的に活動をしている意識の高い住民がいること、良い状態にある町家が残っていること、観光の要素を見つけることができること、地元自治体が協力的かつ柔軟性があること、よそ者を受け入れる風土があること、などの要素を網羅した、総合的な「ソフト力」が必要になります。「ソフト力」のあるまちを探し出し、先行して受入れの土壌を醸しておくことがスムーズな「家旦那」の導入のポイントになります。
もしこの「家旦那」にご興味のある方、ぜひ鎌倉生活総研までお問い合わせください。近い将来、日本各地にいくつかの「家旦那」を受け入れるまちを見つけ、実施のメニューを準備してみたいと考えています。
現役リタイア後のこととか、副業の地としてなど、いろいろな可能性を視野に入れながら、地方都市をめぐり、自分の「家旦那のまち」を探すのは、きっと面白いと思いますよ。
鎌倉生活総合研究所 鈴木雅晴